<小笠原諸島の多言語文化>
                                                       010211更新
                                                   Bonin Explorer MULBERRY

資料;2001-3-15小笠原ビジターセンターでの
東京都立大学 ダニエル・ロング氏の講演より


=内容=
・小笠原の最初の定住者たちの出身地:
  アメリカ、マサチューセッツ州・インド・中国・アゾレス諸島・バミュウダ・ポルトガル・スペイン・
  イタリア・フランス・ドイツ・デンマーク・北マリアナ・グアム・ミクロネシア・ソロモン・タヒチ・キリバス・ハワイなど

・1830-1872欧米系島民時代:
  言語はいろいろ、英語だけではない。
  ペリーを案内した若者は変わった英語を話した。
          :共通言語は英語であったが、多言語が混じっていたことを示唆。(クレオール語)
           英語はイギリス英語の影響のほうが強いよう。
  1840年 日本からの漂流民の証言
          :をわか (水) water ハワイ語なまり、つまりハワイ語ではt、kの区別がない
                                   最近はkが用いられる。
 
・ハワイ語の影響(延島氏の研究による):
  プクヌイ   小港     puka nuiすなわちbig hole            
  プヒ     うつぼ    puhi
  ラハイナ  さとうきび
  カマニ   タマナ    kamani 古いハワイ語   
   ビーデビーデ 古い日本の資料ではウデウデ・ウリウリ wili-wiliすなわち古語ではvili-vili
  ピーマカ(ササヨのマリネのような食べ方)  ピーミカ ハワイ語では酢のこと
  ラハロ   タコノキ  lau hala

・欧米系島民の人口:
  現在150人程度。日本人が住んでいる時代は少数派。
  1830-1872  1945-1968欧米系のみ。

・1945-1968 米軍&欧米系島民:
  公的には英語、私的には英語や日本語。
  面白い例; mata miru yo   意味 see you again
  英語と日本語のチャンポンには何かパターンがあるようだ。
  
・日本と欧米の文化のちゃんぽんの例:
  クリスチャンのお墓にお供え物があること。  
                                                       以上


                                     参照HPはこちら:ダニエル・ロング氏

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