<観光資源としてのオガサワラオオコウモリ>
                                                                 111107
                                                     マルベリー

                                                                                       国立公園協会機関誌「國立公園」2011年9月号(696号)
に投稿した文章です。

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「観光資源としてオガサワラオオコウモリ」
マルベリー 吉井信秋
  
                
はじめに
小笠原では、10年以上も前からオガサワラオオコウモリは観光資源としての対象となっている。
そして今ではもう欠かせない存在ともなっている。
僕の生業は小笠原・父島でのガイド業である。
自分のガイドとしての実体験を踏まえて「観光資源としてのオガサワラオオコウモリ」を
論じていきたいと思う。
読後、ご意見・ご批判をお寄せいただければ、
今後の小笠原におけるオガサワラオオコウモリの保護・保全や観光利用について
何か反映できればと考えている。


小笠原について
東京から南へ約1000kmほどのところに小笠原の父島がある。
南へ50kmほど行くと母島がある。戦後、一般住民が暮らす有人島はこの2島だけである。
いまだに空路はないので、6日に1便程度の船「おがさわら丸」で片道25.5時間かけて
行き来することになる。
母島へは父島から「ははじま丸」に乗り換え、さらに2時間10分ほどかかる。
自治体としては東京都小笠原村で、小笠原群島には父島列島・母島列島・聟島列島があり、
それ以外にも火山列島(北硫黄島・硫黄島・南硫黄島)、沖ノ鳥島(日本最南端)、南鳥島(日本最東端)などを含んでいる。
それゆえ小笠原村エリアが持つ200カイリの排他的経済水域は日本の1/3近くになるほどである。
小笠原の成り立ちは古く、はるか4800万年ほど前の海底での火山活動から始まり、
その後さらなる隆起運動により島が出来上がっている。
島ができてから一度も大陸とつながったことのない「海洋島(大洋島)」である。
それゆえ特異な生態系ができあがっていた。
人の定住の歴史も新しく、1830年にハワイから白人と現地人が20数人で移住したのが始まりである。
定住開始からまだ約180年ほどしか経っていない。
しかし、明治時代から太平洋戦争での強制疎開までの間は農業が盛んで、
広範囲に耕作地が広がっていた。
その後、昭和43年のアメリカからの返還までの間、わずかな人が暮らす島となり、
耕作地のほとんどがまたもとの森林に戻った。
そういう場所のほとんどは現在も森林となったままである。


世界自然遺産登録決定
小笠原は本年6月、世界自然遺産登録が決定した。基準であるクライテリアとしては「生態系」である。小笠原の特異な生態系は、以前から「東洋のガラパゴス」といわれていたほどであるが、
これで世界的にも認められたこととなった。
遺産区域は小笠原群島全域、硫黄島を除く火山列島(北硫黄島及び南硫黄島)、西之島である。
有人島である父島・母島は集落地域を除いた陸域と一部周辺の海域が区域となっている。
父島周辺ではとりわけ人気の南島は、周辺の海域も含めて遺産区域である。


オオコウモリについて
オガサワラオオコウモリは海洋島である小笠原で、元来唯一生息している陸棲哺乳類である
(現在は人の定住以降に野生化したヤギ、ネコ、ネズミの3種の哺乳類もいる。)
かつてダーウィンは「種の起原」の第12章「地理的分布(続)」で、
海洋島には陸棲哺乳類のコウモリがいることを述べており、例として小笠原諸島も示されていた。
オガサワラオオコウモリは小笠原諸島のみに生息する固有種で、
環境省レッドリストで絶滅危惧TA類(CR)に記載されている。
現在生息が確認されている島は父島、母島、北硫黄島、硫黄島、南硫黄島などである。
兄島や聟島でも断片的な情報も得られている。
個体数は父島で150個体前後、母島では少数、北硫黄島では数10個体、硫黄島では数個体、
南硫黄では100個体程度で、合計で300個体程度が確実に生息している。
(父島では-近年200個体程度がいるという情報もある。)
(*2013年時点では父島に250頭以上は生息)
食性は基本的に植物食で、60種類近い植物の果実、花蜜、花粉、花弁、葉などが利用されている。
人家に近い所でよく目撃されるのは
グァバの果実、ヤシの花粉・花蜜、タコノキの果実、インドボダイジュの葉、アオノリュウゼツランの花蜜などである。 


北硫黄島の目撃経験
数年前、北硫黄島の学術調査に調査補助として同行する機会を得た。
北硫黄島は戦前は住民のいた島で現在は無人島である。
調査では標高200Mほどの所にある、かつての製糖工場跡で4泊キャンプをした。
日中の作業を終えて、キャンプ地で休憩していると、
まだ明るい時間からオガサワラオオコウモリがかんきつ類の樹木に飛んできていた。
複数日で同じ現象が見られた。
父島で見ている限りはねぐらからの飛び立ちは日没以降であるが、
この行動を見る限り北硫黄島では日没前の明るいうちから活動していた。
父島にはオガサワラノスリという猛禽類や人間がいるので日中の活動に影響を与えているのだろうか。


観光での利用
小笠原・父島では直接・間接的に、さまざま形で広く観光利用が行われている。
直接的なガイドツアーではナイトツアーや夕暮れ時の飛翔ウォッチングなど。
間接的には施設での展示や観光パンフレットなどでの写真などがある。
小笠原村商工会が数年前に制作した島かるたでも題材して取り入れられている。
近年はオガサワラオオコウモリも人気が高まってきている。


ガイドツアー
小笠原・父島では、10年以上前より観光事業者がナイトツアーという名称で、
夜のガイドツアーが実施されている。
ツアーの中では、
光るキノコ(ヤコウタケ・島名グリーンペペ)、オカヤドカリやスナガニなどの海岸性生物とともに、
オガサワラオオコウモリのウォッチングも組み込まれている。
このツアーは日没以降に実施されるため、
オガサワラオオコウモリを探すのはねぐらから飛び立った後の餌場になっている植物である。
東京都亜熱帯農業センターの展示園がよく利用されるエリアであるが、
時期によっては違う場所で探すこともある。
ツアーではオガサワラオオコウモリが花蜜や葉を食べている所を、
赤いフィルムをかけたライトで観察する。
普通、単独行動をしているので1個体を観察することが多い。
時には複数個体が同じ場所にいることもあり、
そのときにはケンカするように絡み合ってキーキーギャーギャーと鳴き声を発することもある。
餌場の樹木に飛んできたり、あるいはそこから飛び立ったりするのも観察できることもある。
翼長が80-90cmくらいもあるから、暗闇でもよく分かる。
姿、鳴き声、飛翔の3つの行動が1回の観察で見られればもう満点である。
でも、そんないい状況はめったにない。
近年では、ねぐらからのオオコウモリの飛翔を観察するツアーも実施されている。
冬場の集団ねぐらを形成する場所近くの見通しのいい場所で、日没直後から待機していると、
日没後20分ほどすると、続々とオガサワラオオコウモリが飛び出してくるのが見られる。
多いときは100個体ほどが順々に飛び出してくるのがみられる。
翼長は80-90cmくらいもあるので、薄明かりでは十分よく見える。
ただし夏場はそのねぐらも分散してしまうため、その場所ではほとんど見られなくなる。
そのため飛翔観察は季節限定のツアーとなっている。


展示や模型
父島にある大神山公園ではオオコウモリの実物サイズモニュメントが
地面からの支柱とつながって高さ4Mくらいのところに高く展示されている。
付近に樹木があってまさにそこから飛び出していくような雰囲気となっている。
小笠原ビジタセンターの中では、剥製が展示されている。
ナイトツアーでは近くで見られることは少ないので、それほどはっきり体の構造がわかることない。
ガラス越しであるが、ここでは間近で体の構造を観察することができる。
小笠原村商工会作成島かるたは、
小笠原の自然、文化、歴史を46にまとめたもので、オガサワラオオコウモリも盛り込まれている。
「ゆ」の項で、「夕暮れに 黒装束で ねぐら飛び立つ」 である。
小笠原村や小笠原村観光協会の観光パンフレットやホームページなど様々な媒体でも
オガサワラオオコウモリの写真が用いられている。


自主ルール設定の経緯
オガサワラオオコウモリのウォッチングは、
東京都の亜熱帯農業センターの展示園を利用することが多かった。
展示園では敷地との境にフェンス等はなく、外灯がなく真っ暗ではあるが、
夜間でも自由に立ち入れる状況であった。
しかし一時、ルート外ではあるが、敷地内で地面の陥没がおきていた。
戦時中の洞窟陣地構築が原因であったようだ。
そこで管理者である小笠原支庁産業課としては安全上の理由から夜間の閉鎖を打診してきた。
観光協会ガイド部のナイトツアー事業者としては、死活問題でもあるので、
夜間の亜熱帯農業センターの利用方法をきちんと定め、
業者の責任においてツアーを実施するということで、夜間の利用を認めてもらうにいたった。
手続きとして、毎年、業者ごとに夜間利用の申請を行うことになった。
夜間の利用方法として「舗装路からはずれない。」「利用区域以外は立ち入らない。」
「安全管理を徹底する。危険箇所には入らない。」「園内に車を乗り入れない。」
「都の施設であることを説明する。」「夜間にオオコウモリが来る理由や生態を説明する。」など
6項目を定めた。
このことが発端となって、亜熱帯農業センターの夜間利用も含め、
オガサワラオオコウモリの自主ルールを作ることになった。
自主ルールは小笠原村観光協会のナイトツアー事業者が主となって「オオコウモリの会」を結成し、
研究者の助言もいただきながら、議論しまとめた。
そして小笠原村観光協会自主ルールとして2004年5月に制定した。
 

自主ルール
自主ルールの前提となる合意事項として、
「業者同士の連携をとりながら、お互い気配りして、行動する。」
「オオコウモリや野生生物にできるだけ配慮した形で行動する。」
「研究機関と連携し、保全活動に寄与していく。」など3項目を定めた。
さらにウォッチングのガイドラインとして、「ライトについて」「ストロボ撮影について」「人数について」
「音について」「餌付けについて」「私有地の利用について」「亜熱帯農業センターの利用について」
「丸山トンネル付近の利用について」「昼間のねぐらについて」など9項目を定めた。
小笠原エコツーリズム協議会が制作した「小笠原ルールブック」では、
ガイドライン9項目のうちより重要性の高い部分をピックアプして6項目を載せている。
「コウモリを探すのはガイドのみ。弱い光あるいは赤い光を用いること」
「撮影はガイドの判断で状況のよい時に1カット限定にする。それ以外は撮影しないこと」
「餌付けは絶対にしないこと」
「見るとき・探す時は静かにする。民家が近くにある場所では特に静かに行動すること。」
「ガイド1人に対して見学者は10人程度。
他のツアーとバッティングした時は同時に1つのライトで一緒に見るか、時間をずらすこと。」
「冬季の集団ねぐらにはコウモリに与える影響が大きいので立ち入らないこと。
また他の時期もできるだけ控えること。」などである。
自主ルールはその後、事業者や島民にもおおむね遵守される方向でウォッチングが行われている。
ただ小笠原村観光協会の自主ルールのため、
一般島民や観光客は知らなかったりあるいは無視したりで、わずかではあるが、
守られていないことがたまに見受けられる。
さらにいえば、メディア関係の取材の場合、
通常のウォッチャーがいない状況ではストロボやライトを使う撮影を黙認する状況も見られている。
自主ルールは制定されてもう7年経つが、一度も改定されていない。
改定する必要がないというわけではない。
たとえば、「ストロボ撮影について」は「1カット限定にする」と決めた。
このころはフィルムのカメラだったので、
ストロボをたかないとほとんど撮れなかったから妥協案としてそう決めた。
でも、今はデジカメで性能もよくなっているので、
基本的にはノーストロボ(フラッシュ撮影なし)でお願いしている。
「昼間のねぐらについて」も自主ルールでは
「ウォッチングや興味本位では立ち入らないようにする。」だが、
現在は鳥獣保護区の特別保護地区および特別保護指定区域となり法的にも規制がかかっている。
このように改定が必要な部分があるのだが、残念ながらまだ検討はなされていない。
今後、改定については真剣に考えていかなければならない。


オガサワラオオコウモリの今後
エコツーリズムの基本は、ルールとガイダンス(解説)による持続可能な観光である。
オガサワラオオコウモリに関して言えば、ルールについてはガイドラインが作られている。
ガイダンスについては、観光客のほとんどがガイドツアーで解説を受けながら観察している。
これからも、観光によって、オガサワラオオコウモリの生息を脅かすことがあってはならない。
世界自然遺産となって観光需要が増えることが予想されるが、
観光事業者は観光資源としているオガサワラオオコウモリの生息環境がきちんと維持されていくよう
努めなくてはならない。
近年、父島では個体数が増えているという情報もあることから考えると、
現在のウォッチングはそれほど悪影響なく、おおむね適正であると考えてもいいのだろう。
今後も持続可能な観光であり続けたい。




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