<小笠原とのかかわり>
                                                                      060825
                                                  マルベリー 吉井信秋
                                                                     
代表・吉井信秋の小笠原とのかかわりについて
日本エコツーリズム協会機関紙への寄稿文です。
(原稿を書いたのは2006年7月ごろです。)


現在、小笠原(父島)でエコツアーガイドを営み、暮らしています。
島に住み始めて、かれこれ
14年。早いものです。
人生で一番長く住み着いた場所となりました。
その間、島で妻と出会い、結婚し、
2児の子供を授かりました。
おかげさま
で、子供も島のゆったりとした環境の中、すくすくと育っています。  

生活の糧であるガイド業のほうは、
船便で、往復
6日間もかかる来島者の少ない島ですので、
ほとんどの時期が細々と、電話番・事務の妻と、
ガイドの私とでなんとか商売をしております。

小笠原という島名が実際に現実的になってきたのは25歳でダイビングを始めてからでした。
いつか行きたいと思いつつ、サラリーマンゆえ、
6日間の休みがとれず、あこがれの島でした。
その後、
30歳前で思い切って会社を辞めて、小笠原へ旅立ちました。
ダイビングのこと以外は何の予備知識もなく。
だから、先住移民として外国から住み着いた人の子孫がいることも知らず、
初めの頃は、この外人えらく日本語がぺらぺらだなあなんて思ってもいました。

商店やダイビングサービスなどで働いているうち、
数年かけて、徐々に島のことを学び、休みの日にフィールドを歩き実地を学び、
その後、エコツアーガイド業を始めました。
ガイド業も商売ですから、品質と営業(販売力)の両輪が必要なのを実感しながら、
どうしても営業ベタな、現場好きの私でした。
海も山も大好き。


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