工兵のみた戦時中の父島のできごと
亀田五三二氏の軍隊日誌より<昭和16年9月より18年4月末まで>

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<資料>
原文日誌は八潮市・亀田勲氏よりお借りしました。
亀田五三二氏は工兵隊に所属。


<昭和16年>
昭和16年9月
24日:午後8時、小笠原群島父島二見港に着。
26日:午前7時、下船。船中の混雑、言語に絶す。司令官(川上大佐)の訓示あり。

昭和16年10月
10日:晴天。一昨日、二見港に入った連絡船・芝園丸も、昨晩10時に発った。
18日:今日は靖国神社の大祭。

昭和16年11月
4日:大村のお祭りを見に行く。
27日:芝園丸が入港した。

昭和16年12月
7日:午前、武器被服の手入れ。7時の会報の時、日米戦が始まったとのニュースあり。実砲を渡された。とうとう来るべきものが来たのだ。
8日:今朝早く、芝園丸が入港した。今朝11時、英・米両国に対し、宣戦布告をした。
9日:朝まだ明けきらぬ頃(午前5時半)、敵機襲来のサイレンあり。武装して出たが、すぐに解除になった。ニュースによると、日米戦も、わが軍多大の戦果を上げたとの事。
10日:午前7時、日米戦戦勝祈願祭が行われた。
13日:日米戦を、大東亜戦争と言うこととなった。
14日:大東亜戦争の捷報しきりなり。皇軍の武威、世界に輝く威なるかな、わが皇軍。
25日:今日は大正天皇祭であった。

<昭和17年>

昭和17年1月
1日:午前7時、宮城遥拝を全員で行う。
6日:本日は今年の仕事初め。
8日:陸軍初の観兵式に参列のために、午前8時、集合。被服検査して、9時、洲崎の飛行場に行く。

昭和17年2月
7日:一日中、波止場より連珠谷へ砂運搬。明日、芝園丸が入港するとのこと。
11日:紀元2602年の紀元節。朝より大変に良いお天気だった。午前8時、集合。宮城遥拝式あり。
12日:本夕、軍用船らしき船が入港した。
16日:昨晩7時55分、シンガポール無条件降伏を、今朝発表せらる。威なるかな、皇国の軍隊。
20日:夕方、待望の軍船が入ったとのこと。

昭和17年3月
1日(日):大東亜戦争も、ようやくその戦果を上げつつある。ジャワ沖海戦は、またものすごいものだった。(3月1日午後4時発表)
8日(日):今日、午前中に待望の芝園丸が入港した。
10日(火):第37回目の陸軍記念日。
17日(火):今朝7時25分、父島二見湾口5千米海上にて、我が軍・運送船が敵のため、沈没した。(石狩丸)
21日(土):今日は春季皇霊祭で休み。、
25日(水):今日はまた、敵潜水艦が付近の海に来たとのことだ。

昭和17年4月
2日(木):今日、芝園丸が入港した。
3日(金):今日は神武天皇祭で休み。
18日(土):◎本日、午後0時30分頃、東京の京浜間が敵機の爆撃を受けたとの報道があった。敵機9機を落としたとのこと。
25日(土):今日、靖国神社の臨時大祭で休み。
27日(月):本日、芝園丸が入港した。
29日(水):天長の佳節。
30日(木):今日は靖国神社の大祭。

昭和17年5月
8日(金):今日は誓旨俸休日で、日朝点呼の時に、誓旨の奉読があった。
14日(木):要塞神社のお祭りで、大村小学校校庭で、兵隊の余興があって、大変に賑やかであった。
20日(水):晴れの健脚部隊競争に出場のために、午前7時出発。
23日(土):軍隊最大の行事たる、検閲が今日、自分の隊で行われた。

昭和17年6月
19日(金):今日午後、芝園丸が入港したとのことだ。
28日(日):夕方、二見港に軍艦が入った。涼みながら山の上に見に行く。

昭和17年7月
19日(日):今日は父島の兵隊の銃剣術の競技大会。
30日(木):待望の芝園丸が入港した。

昭和17年8月
3日(月):川上司令官が栄転されるので、そのご挨拶に、今日夜明山に来られた。
5日(水):川上大佐もここの司令官を交代して、今日も夕方の芝園丸に乗り込んだとのこと。第二分隊長・益田伍長も召集解除になったので、今夕芝園丸に乗り込んだ。芝園丸も、今夕か明日は出帆するらしい。
8日(土):今日は第8回目の大詔奉戴日のこととて、香川中隊のおいて遥拝式を行う。
9日(日):ソロモン海戦でものすごい戦果を上げたとのこと。
13日(木):海軍の連絡船が入港く。

昭和17年9月
1日(火):思い出は遠く、20年前の今日、関東大震火災。
3日(木):今朝、海軍の艦が入港した。
5日(土):午前中、芝園丸が入港したとのことだ。
8日(火):今日は大詔奉戴日。午前7時、香川隊の陣地に集合。遥拝式を行う。
15日(火):森部隊もいよいよ今晩、船に乗り込んだらしい。
20日(日):動員完結満1周年記念日。完結記念で、隊からいろいろな加給品があった。
24日(木):今日は秋季皇霊祭で休み。昨年の今日は、任地・小笠原に船が着いた日。小笠原・父島に来て満1ヵ年だ。
25日(金):今日は新部隊長・武蔵野中尉殿の命下布達式を、中隊で行われたので、全員儀式の軍装で出かけて行った。
27日(日):何の船か知らないが、今朝二見港にかなりの船が2つ入った。
28日(月):新司令官・木村少将閣下が始めて夜明山の防空隊へ来られた。午前中に、芝園丸が入港した。。

昭和17年10月
16日(金):靖国神社臨時大祭にあたり、遥拝式で、渡辺少尉の指揮にて、午前10時15分全員営庭にて行う。
17日(土):曇りがちなお天気であった。新嘗祭。
23日(金):靖国神社例大祭で休み。

昭和17年11月
3日(火):今日は明治の佳節で休み。
7日(土):今朝、芝園丸が入港した。
23日(月):今日は祭日で休養。

昭和17年12月
8日(火):大東亜戦争開戦以来、満1ヶ年の記念日。日朝点呼4時、奉読式を行う。思えば感激のあの昨年の今日、よくも世界戦史にまれなる戦果を上げたものだ。感謝すべき皇軍の威か。
25日(金):今日は大正天皇祭で休養た。
28日(月):大村随道と清瀬随道とが防空構になった。
31日(木):武蔵野中尉、新たに隊長となる。

<昭和18年>
昭和18年1月
1日(金): 6時半、宮城遥拝式を行う。お神酒を祝い、分隊全員にて、扇浦と大村の神社に初詣した。
4日(月):今日は勅諭奉読式を日朝点呼同時に、営庭において行う。
6日(水):今年の仕事始め。
8日(金):大東亜戦下、第2回目の陸軍始め。今年は観兵式をやめにして、諸兵連合演習を行う。今朝、芝園丸入港。

昭和18年2月
11日(木):紀元の佳節。9時、遥拝式あり。
28日(日):感冒流行で、相変わらず外出はなし。

昭和18年3月
3日(水):今日は上巳の節句。
8日(月):今日は大詔奉戴日だ。6時20分集合して、奉戴式を行う。
10日(水):第何十回目かの陸軍記念日。昨夕、連絡船・巽が小港付近で遭難して、兵隊が1名死亡したとのこと。
11日(木):巽丸で遭難した兵隊さんは、気の毒にも4名死亡したとのことだ。
24日(水):午後1時頃、連絡船・芝園丸が入港した。思いがけなくも、若干の兵隊が乗って来た。工兵隊にも15名補充兵が来た。
31日(水):本年の検閲は種々準備して、今日朝9時、軍装検査によって始まる。内務巡視と銃の手入れ方の学課で、午前中終わる。午後は扇浦海岸において、上陸する敵に対する防御戦闘の演習。自分は隊長伝令で、ずいぶん疲れた。

昭和18年4月
3日(土):神武天皇祭でお休み。
8日(木):今日は花祭りだ。内地のお寺では、さぞや賑やかなことだろう。
10日(土):本日、芝園丸入港の予定とて、兵隊は大騒ぎだ。11時、待望の芝園丸が入港。そして交代の兵隊もやって来た。隊へ来たのが15時過ぎだが、あまりにも交代員が少ないのには、皆もほんとにがっかりした。73名だけが元気にやってきた。
12日(月):大村の要塞神社に参拝した。行きは行軍にて大村に行き、帰りは船に乗って帰って来た。
24日(土):雨。靖国神社の臨時大祭を3度任地父島において迎えた。
29日(木):天長節の佳節を記念する新演習を、洲崎飛行場において行われた。
30日(金):晴れ。靖国神社の例大祭当日。

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